大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

新潟地方裁判所 昭和39年(む)122号 判決 1964年6月01日

被告人 伊藤寿

決  定

(被告人 氏名略)

右の者に対する傷害被告事件について、被告人から上訴権回復請求の申立があつたので、当裁判所は次のとおり決定する。

主文

本件上訴権回復の請求はこれを棄却する。

理由

本件請求の要旨は、

請求人は昭和三九年四月二四日新潟地方裁判所において、傷害被告事件により懲役四月に処する旨の判決の言渡を受けたのであるが、右判決言渡日の前々日である同月二二日右被告事件の第一審弁護人たる弁護士林隆行の自宅を訪れ、あらかじめ同被告事件について実刑に処する旨の判決が言渡された場合には、直ちに控訴申立をなし、同時に保釈請求の手続をなされない旨依頼したところ、同弁護士はこれを了承して請求人の面前において控訴申立書および保釈請求書を作成した。かような状態のもとで、請求人は前記のとおり実刑に処する旨の判決を受けたが、即日同弁護人から保釈請求が提出され、再度の保釈が許可されたため、請求人としては前記の委任によつて、控訴申立書も上訴申立期間内に差出されてあるものと信じていたところ、同年五月一八日、新潟地方検察庁から、前記被告事件の判決確定により刑を執行するため同庁へ出頭するようとの通知を受けたことから、前記弁護士に控訴申立書提出の有無を訊したところ、はじめて、同弁護士が控訴申立書を提出していないことが判明したもので、全く請求人の責に帰することができない理由によつて上訴の提起期間内に上訴できなかつたものであるから上訴権の回復を求めるというのである。

よつて、記録を調査し、かつ証人林隆行の証言および同人作成の上申書、その他事実の取調をした結果によると、請求人の申立内容に符号する事実は悉く認められるが、同弁護人が、控訴申立書を提出しなかつた事由は、同弁護人が判決言渡当時前記裁判所へ出向くに際しかねて作成済であつた前記控訴申立書および保釈請求書を自宅の机上の書類箱中においた侭持参し忘れたので、同裁判所から自宅へ電話して、その妻に対し、書類箱中にある書類を同裁判所へ提出するよう指示したが、同人の妻は右各文書作成の際に同席していたことから提出を依頼された文書二通であることを知つていたと考え、又当時書類箱中には右二通の文書以外の文書は入れて置かなかつたことから誤ることはないと考え、特に文書の種類、内容を指示するまでもなく右二通の文書をすべて提出するものと信じ、単に書類箱中の文書を提出するよう指示したに止まつたこと、その後、弁護人は裁判所から保釈許可決定のあつたことを聞いたことから同人の妻が指示通り右各文書を提出してくれたものと信じ、妻に対しても、又裁判所に対しても控訴申立書提出の有無を確めず、前示各事情から控訴申立書も提出されているものと信じていたこと、その後昭和三九年五月一八日に至り請求人である被告人から刑の執行の為の出頭命令を受けたことを知らされ、調査の結果、控訴申立書の提出されていないことを知るとともに、右不提出の原因は、同弁護人宅では昭和三九年三月三日夜盗賊が忍び込もうとしたことがあり、又判決言渡当日頃、書類箱附近に置いた万年筆と同人の妻の指環が紛失していることから、その頃指環、万年筆などとともに控訴申立書(右物品の包装用として)も盗まれ、その為書類箱中の書類の紛失に気付かぬまま残つていた保釈請求書のみを同人の妻が提出したことにあると想定するに至つたことが認められる。

ところで上訴権回復の請求は、上訴権者又はその代人の責に帰すことができない事由によつて上訴の提起期間内に上訴の提起ができなかつた場合に限られるのであるが、前段認定の事実からすると、仮りに控訴申立書が盗まれたものであつたとしても、弁護人の妻においては二通の文書が作成されたことを知つていたものであるから、弁護人から提出依頼を受けて保釈請求書を提出した際文書の不足に当然気付いた筈であり、又指環の紛失の事実から書斎に何等かの異常のあつたことを感知してこれらの事実を弁護人に知らせ、依頼を受けている事件についての手落ちのないように弁護人に注意を喚起すべきであつて、これらの点において補助者としての注意に欠けるところが認められ、又請求者たる被告人から控訴申立の依頼を受けていた弁護人においても、直接自己においてすべての手続をなさず、その提出方を同人の妻に依頼したような場合には事後同人の妻に各文書提出の確認をするか或は裁判所に対し控訴申立書提出の有無を確めるべきであり、これが確認の方途を何等講ぜず、控訴申立書の提出をし得なかつたことは同弁護人の過失によるものと言わなければならない。そうだとすると、請求人に対する前記被告事件について、上訴の提起期間内に上訴をなし得なかつた原因は、代人たる同弁護人の右のような過失に基因するものであり、結局、本件上訴権回復の請求は刑事訴訟法第三六二条に該当するものとは認めることができず、本件上訴権回復の請求は理由がない。

よつて、主文のとおり決定する。

(裁判官 石田恒良)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例